楽観的な価値観
神待ち娘の立場に立ってみると、決して境遇が恵まれている訳ではないことに、気付くかと思います。
いつ路頭に迷うのか解らない、明日食べるご飯が有るか無いかも解らない、お金がいつ底をついてもおかしくない・・・。
しかし、そう思ったところで神待ち娘に「これからどうするの?」とたずねたとしても、彼女にいわせれば「何とかなるんじゃない?」という返事だけだと言います。
彼女たちは、実に身軽に生きています。
そして、どこか自信があります。では、その自信はどこからやってくるのでしょうか。
誰しも、明日どうなるのか解らない生活をしています。
明日起こることは、誰一人として予知できません。
そんな時、「何とかなる」と、言えるのは恐らく“強さ”なのだと考えます。
そして、一見して何も考えていないだとか、社会を甘く見ているだとか、長く生きた大人たちが叱り付けてきたとしても、恐らく神待ち娘たちは「何とかなんじゃない?」と言うでしょう。
だいいち、家出をしている人間が、まったく何も厳しさを感じずに生活出来ているという発想の方が、実は不思議なことなのではないでしょうか。
神待ち娘は、確かに神を「待つ」姿勢で、神待ちサイトや家出サイトを閲覧して、一時的な滞在先や、一食分の食い扶持を他力本願で探しています。
しかし、その行為がいつもいつも成功しているとも限らないのです。
よく耳にするのが、ふと神待ちサイトで知り合った男性が、不意に知り合った神待ち娘と話をしてみると、時折びっくりするほどシビアな返答をされて、言葉を失うことがあるというのです。
もちろん、神待ち娘とはいっても、若い女の子ですから、そうそう生きる知恵を熟知している訳ではありません。
しかし、彼女たちは自分の心が強くなれる言葉を知っているのです。
それが「何とかなる」なのでしょう。
この言葉が彼女たちの人間性を、良くも悪くも表しているのかもしれません。
もしかすると、神待ち娘たちに見習うべきところは、案外と多いのかもしれません。